1月中旬の閑話


[TAKESIの部屋] [旬の話題] [仙台方言あそび] [閑話365日


1月11日(木)スケート

今朝の仙台はうっすらと雪化粧していた。冷たい朝である。こんな冷たい朝は小学校へ通う途中、道路の水たまりにできた氷を割って遊んだ。舗装道路が少なかったので、道路の至る所に水溜まりがあった。あの頃は今よりも気温が低かったような気がする。

今では氷が張り詰めることが珍しくなったが、仙台城址の大手門下の「五色沼」は日本におけるフィギャースケート発祥の地と言われている。お城の掘割の一部で日が当たらない場所なので、分厚い氷が張ったのだろう。

子ども時代に住んでいたところに近い広瀬川の岸辺にも氷が張った。危険だから氷の上では遊ぶなと再三先生に注意されたのを覚えている。先生方が校舎の北側の日陰に雪を踏み固めて水をまき、仮設のスケートリンクを作ってくれた。

スケート靴を持っている生徒はほとんどいない時代で、大部分の生徒は長靴で氷の感触を味わっただけだった。そこへ満州(今の中国北東部」から転校してきた生徒が、ピカピカのスケート靴を履いて颯爽と登場した。その滑らかな滑りにみんな目を見張ったものだった。仙台は荒川静香選手や羽生弓弦選手など有名選手を育てたフィギャースケートには縁の深い土地柄なのである。


1月12日(金)水道凍結

今朝は冷え込んだ。洗面所の水道が凍り付く寸前だった。蛇口を開けても直ぐには水が出ない。しばらく待って、やっとちょろちょろ水が出てきた。寒い日が続くようなら就寝前に水抜き栓で水を落としておく必要があるようだ。水道管に損傷ができたらえらいことになる。

仙台の冬は中途半端な寒さである。水道が凍り付くのが当たり前の土地なら、それなりの備えがあるのだろうが、仙台は水道管が凍るような寒波に見舞われることが稀である。わが家の水道管は一応保温材でガードされているけれども、風が強い日だと夜中に凍結の恐れがある。

一冬に2、3回は水が出なくて慌てることになる。そんな時は蛇口にタオルを巻き熱湯をかけて氷が溶けるのを待つしかない。困ったことに近頃はそうした対策をしたことを忘れてしまうことがしばしばある。洗面所の方から水が勢いよくほとばしる音がして、ハッと気付いた時にはもう遅い。床まで水が飛び散ってびしょぬれになっている。

かかりつけの医者に物忘れのことを話したら、「年を取れば誰でもなることでご心配には及びません」と慰められたが、もっと大事なことを忘れるようになったらどうしようと心穏やかではいられない。何か必要なものを別の部屋に取りに行って、はて何のために来たんだっけと思うこともある。これはかなりの重症ではないだろうか。水道凍結のことから物忘れへ話が飛んでしまうのも少し変な気がする。


1月13日(土)安納芋

焼き芋が旨い季節である。街中ではピーと蒸気で鳴る笛の音で焼き芋屋が来たことを知る。夜の街をふらつく酔客は、行きつけの飲み屋の女性に焼き芋を土産にしたりする。蒸した芋より焼いた芋の方が味が濃くて旨いと思う。

中でも木の葉を燃やした後の残り灰にアルミホイルで包んだ芋を埋めてじっくり焚いたものが旨い。タイミングを誤ると焼け焦げてしまうこともあるが、うまく行けば甘みが凝縮されておいしくなる。ここ数年「安納芋」が人気だ。

安納芋の産地は種子島である。ほかの地域でも安納芋は栽培されているが、安納芋の「純正品」は種子島産である。種子島の土壌が通気性と排水性に優れミネラル分が多いことなど、おいしい芋を育てる条件がそろっている。

安納芋はサツマイモの中でも水分が多く粘り気があり、焼くとねっとりした感じになる。糖度も生の状態で16%と高い。焼くと甘みは40%ほどになると言う。種子島では種芋を琉球から譲り受けて1600年代から栽培されてきた。貯蔵芋は今が出荷の最盛期である。

旨いイモの見分け方があるそうだ。皮につやがあり滑らかなもの、傷や黒い斑点が無いもの、髭根の穴が浅いものを選べば間違いないと言う。保存は新聞紙に包んで暗い場所に置くこと。低温に弱いから冷蔵庫に保管するのはご法度。


1月14日()ミカンを甘くする方法

酸っぱいミカンは入浴させると甘くなると言うのは本当だろうか。ミカンは改良が進んで「おお、酢っぱ」と顔をしかめるようなものは少なくなったが、不幸にして酸っぱいミカンに当たったら甘くする方法が大別して四つあるそうだ。

一つは揉みまくること。二番目はお湯につけること。三番目は電子レンジでチンすること。四番目が太陽に当てることである。自分では試したことがないけれど、いずれも実証済みで効果があるらしい。ミカンの酸っぱさは果実に含まれるクエン酸が原因である。

ミカンを手で揉むと温まりミカンの呼吸が激しくなってクエン酸の消費が進むので酸っぱみが減るのだそうだ。揉んで2〜3時間置いてから食べると良いと言う。第二のお湯につけるのは入浴に適した40℃前後のお湯である。つける時間は10〜15分で十分である。ミカンに元々あるアコニターゼと言う酵素が働いて、クエン酸を分解するので甘く感じるようになる。

電子レンジでチンする場合は30秒程度。爆発を防ぐために外皮の数か所に切れ目を入れて置くことが肝心である。温まったミカンはおいしくないので、冷蔵庫で冷やしてから食べると良いそうだ。酸っぱいミカンをビニール袋に入れて口を縛り2〜3日太陽光に当てる。するとクエン酸が消費されて甘くなると言う。皮ごと焼いても甘くなるそうだ。小生の好みは酸っぱかろうが甘かろうが、ミカンの味をそのまま受け入れることである。変な細工はしない方がいい。


1月15日(月)粕汁

こう寒いと体が温まる食べ物が欲しくなる。土鍋でじっくり煮た「かす汁」は冬の食べ物である。使う酒粕は板状に固めたもの(板粕)と、絞りきらないねっとりとした酒を含んだものが売られている。どちらを使っても加熱するとアルコール分が薄まるから酒に弱い人でも食べられるが、子どもには食べさせない方が無難である。

5年間住んだ西宮は灘の酒どころのど真ん中でいつでも酒粕が手に入った。白鶴、白鹿。剣菱など名だたる蔵元がたくさんあって、酒粕に事欠かなかったせいもあって冬場は粕汁を良く作った。出汁は昆布と焼いたブリのアラでとった。

具は有り合わせのものを使うが、ダイコン、ニンジン、シイタケ、コンニャク、ゴボウ、油揚げ、ネギなどが主な材料である。野菜は下茹でしてアクを抜いてから使った方が上品に仕上がる。関西では軟化栽培した白い部分が多いネギを売っていないので、細い青ネギを細かく切って彩に使うだけたったのでどこか物足りなかった。

東北は酒蔵が多いけれども、粕汁はあまり普及していないのはなぜだろう。麹がたくさん入っている味噌があるので味噌汁そのものが粕汁に似た味がするからだろうか。寒さが厳しい東北でもっと食べられてよさそうな冬の汁物である。


1月16日(火)亜炭

日本人は風呂好きである。湿気が多く汗をかくことが多いからだろう。銭湯や家庭風呂が普及する前は暖かい季節はお湯でからだを拭くぐらいで済ませることも多かったようである。でも寒くなると首までどっぷり浸かれる銭湯に良く通った。

高い天井の洗い場は音が良く響いた。木製の桶がぶつかる音が反響して乾いた音を立てた。家から近いところに二軒の銭湯があったが、どちらも壁面の絵は富士山だった。手前に松原が描かれていたから三保の松原から望んだ富士山を描いたものだったのだろう。

子どものころ住んでいた家には五右衛門風呂があった。今では珍しくなった風呂であるが、からだを温める大きな鉄製の湯船と、上がり湯を温める小ぶりの釜を組み合わせた瓢箪型をしていた。湯船に入るには足裏が熱くならないように、丸い木製の板を沈めて湯船の底に固定する必要があった。

燃料は仙台でたくさん採掘された亜炭を使った。馬車に積んで売りに来たものである。亜炭は風呂に使ったばかりでなく煮炊きにも用いたので、夕暮れ時になると町中に亜炭を燃やす匂いが立ち込めるのだった。亜炭の産地は三本木あたりだったようだ。大崎市三本木には亜炭記念館がある。


1月17日(水)臨時休刊


1月18日(木)大らかなトルコ人

風呂好きは日本人に限らない。古代ローマ人は本国はもちろんのこと征服した植民地にも立派な浴場を作った。大浴場は裸の付き合いをする社交場であり娯楽の場でもあった。トルコのエーゲ海沿いを旅したとき石灰棚で有名なパムッカレというところに古代の巨大な温泉プールがあった。

今でもお湯がこんこんと湧き出ていて観光客が入浴していた。何とそのプールには太い石の柱や彫刻の破片が沈んでいた。地震が多い地帯なのでプールを覆っていた建造物が崩れ落ちたのだろう。日本なら遺跡保護のために立ち入り禁止になるだろうが入浴自由とは大らかな国である。

そういえばトルコ人は歩みもゆったりしている。イスタンブールのような大都会でも、日本人のようにせかせか急ぎ足で歩いている人はほとんどいない。大らかと言えば交通信号も無視されがちなのには驚いた。車が来ないのを確かめて赤信号でも平気で渡る。すべては自己責任でやれという訳か。

トルコ人の遠い祖先は家畜を追って生活するアジアの遊牧民だった。現代になってもそのDNAは受け継がれているとみえる。列車の運行でも時間通りでないと気が済まない日本人とは気の持ちようが違うようである。万事がのんびりしていて、せっかちな人はイライラすることもあろうが、ストレスが少なくて精神衛生上はいい国だと思う。


1月19日(金)ジャガイモ

根菜類でいちばん多く食べられているものは何だろう。ダイコンだろうか、それともジャガイモだろうか。南米原産のジャガイモがヨーロッパ経由で日本へ入って来たのは慶長8年(1601年)で、ジャカトラ港からオランダ船で長崎にもたらされた。だからジャガイモと名付けられたと言う。北海道へは別ルートで寛政年間(1789〜1800年)にロシア人が伝えた。

ジャガイモの原産地はチチカカ湖周辺でそこからアンデス高原一帯、チリ、メキシコへと広まった。ヨーロッパへはメキシコを征服したスペイン人が持ち込んだと言われている。最初はイモを食料とする目的ではなく、花を観賞するためだったと言う。食料としての価値が認められたのはずっと遅れて18世紀になってからである。

北海道へイギリスからジャガイモを導入したのは函館の川田龍吉男爵で、男爵イモと呼ばれるようになった。その後キタアカリやトヨシロなどの品種も生み出されたが、現在でも日本で栽培されているジャガイモの主流は男爵とメークインである。

ジャガイモは様々な食べ方がされているが、洗って皮付きのままアルミホイルに包み、オーブンでじっくり焼いて熱々にバターを溶かして食べるのが素朴だがいちばんおいしいように思う。もちろん味噌汁の具やポテトサラダなど利用範囲の広い貴重な食べ物である。


1月20日(土)「かんずり」

今日は「大寒」。これから「立春」でまが一年で最も寒い時期と言われている。でも今日の仙台は風がなく穏やかで、明け方も氷点下にならなかった。日中は8℃くらいまで気温が上がりそうである。本格的寒波の襲来はその後になるようだ。

大寒のころは厳しい寒さで雑菌に繁殖が抑えられるから、清酒や味噌などの発酵食品の仕込みが盛んに行われる。乾燥した寒風を利用して凍み豆腐や寒天づくりも盛んだ。新潟県妙高市周辺では雪の上に塩漬けの唐辛子を晒してアクを抜き「かんずり」と言う辛い醗酵調味料を作ると聞いた。

「かんずり」は様々な食べ方をされている。鍋料理はもちろんのこと、ラーメンや味噌汁にいれたり、醤油に交ぜて刺身をつけて食べることも普通に行われている。ワサビ代わりに納豆に入れてもおいしそうだ。

「かんずり」の製法は複雑で準備段階から完成まで4年もかかる。元になる唐辛子は上杉謙信が上洛したときに持ち帰ったものを改良した、通常の唐辛子の3倍ほども大きく肉厚で辛味がマイルドな「S−30]と言う品種だと言う。


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