1月下旬の閑話


[TAKESIの部屋] [旬の話題] [仙台方言あそび] [閑話365日


1月21日()ネコヤナギ

庭のロウバイが咲きだし、フクジュソウの蕾が大きく膨らんできた。厳寒とは言え春はもうすぐそこまで来ている。ウメの蕾も目立つようになった。植物はみな春を感じ取っているようである。子どものころ春の彼岸にお墓にお供えする花は造花が多かった。今では年中生花が手に入るけれども、ハウス栽培がなかった時代は寒い時期に生花はほとんどなかった。

そんな中で河原に行けば簡単に手に入る生花があった。ネコヤナギである。銀色の毛で覆われた花穂はビロードのような感触で心地よい手触りだった。似たものにイヌコヤナギと呼んでいたものがあった。正式名称はイヌコウリヤナギと言うそうだ。ネコヤナギのものより少し大きいピンク色を帯びた花穂をつける。

枝を編んで衣装などを収納するコウリを製造するコウリヤナギと言う植物がある。それに比べると材質が劣るので、イヌコウリヤナギと呼んで区別したらしいが、子どものころはそんなことを知らずにネコヤナギと同様に花穂を摘んで遊んだ。

テレビもスマホもない時代で遊び道具も限られていたから、子どもは自然のものを遊び道具にした。水鉄砲や杉鉄砲、竹トンボ、竹馬など、大人の手を借りて作った自前の道具が宝物だった。貧しいけれども今にして思えば思い出がいっぱい詰まった子ども時代だったと振り返る。


1月22日(月)ビワ

ご近所の庭にビワの木があり白い花が密集して咲いている。実が橙黄色に熟すのは6月ごろで、果肉は仄かに甘く酸味と渋みが感じられる。中国の揚子江沿岸、特に南岸が原産地と考えられている。果実の形が楽器の枇杷に似ているのでその名がついたと言われる。

中国から日本へ伝えられたのは9世紀ころらしい。陽成天皇の元慶7年(883年)にビワの記録があるのが最も古い。日本では大分県、山口県、福井県などが原生地であるが果樹として栽培された形跡はない。幕末に清国の南部から長崎代官所にもたらされた種から大きな果実がなるビワが普及することになる。

ビワの実はベータカロチンやクリプトキサンチンが多く含まれていて、体内でビタミンAに転換され皮膚の粘膜保護、消化器官の正常化に役立つと言う。また活性酸素を抑制するのでガンやインフルエンザ予防効果も期待されている。


1月23日(火)雪かき

今年初めて雪かきをした。太平洋に面した仙台はめったに雪が降らないのに18cmの積雪だと言う。気象台がある中心部での計測だろうから、仙台市内でもっと積ったところがたくさんあるに違いない。わが家周辺も20㎝以上はあった。

湿った雪で重い。お向かいが空き家なので幅4m、長さ20mほどの道を除雪するのに小一時間かかった。若いころはこれくらいの雪は一気呵成に片づけたものだが、寄る年波には勝てず途中何度も腰を伸ばして休憩しながらの大仕事だった。

こんな日には出歩く必要がない人は家でじっとしていれば済むけれども、仕事や通学の人は難渋したに違いない。雪道になれていないために転んで怪我をする人も珍しくない。今朝のNHKテレビで雪道の安全な歩き方を解説していた。

歩幅を小さく膝をまげてペンギンのようにヨチヨチ歩きするのがいいと言う。恰好は悪くとも安全第一に考えよう。大阪勤務のとき関西で珍しく大雪が降ったことがあった。雪道になれていないうえに靴底が滑りにくい靴を.持っていないために転倒して怪我をする人が続出した。

必要に迫られて外出せざるを得ないときは、荷物はリュックなどで背負い、とっさのときに両手が使える状態にしておくことが肝心である。特に骨がもろくなっている老人は要注意である。買い物に出なくても2、3日食つなぐ食料は冷蔵庫にあるはずだ。冷蔵庫を整理するいい機会と考えればいい。


1月24日(水)駒ケ岳

昨日苦労して雪かきをした家の前の道に昨夜のうちにまた雪が積もった。大した雪ではないから放っておいても溶けるだろうと思っていたら、今日の最高気温が−1℃と言うから融雪剤を撒かないと消えないかもしれない。

厄介者の雪であるが降らないと困ることもある。東北の脊梁山脈に積った雪は夏まで徐々に溶けて田畑を潤してくれる。雨と違って一気に海へ流れ去ることなく、天然の貯水池みたいな役割をしていると言える。山脈に残った雪の形状で田植え時を判断することが昔から行われてきた。気象予報が発達する以前は農家にとって重要な印となっていた。

残雪の形や山全体の形が馬に似ていることから駒ケ岳と呼ばれるようになった山が全国各地にある。北から挙げてみよう。北海道には森町・鹿部町・七飯町に跨る北海道駒ケ岳がある。標高1,130mで蝦夷駒ケ岳、渡島駒ケ岳と呼ばれることもある。

青森県新郷村には大駒ケ岳がある。戸来岳の一峰で標高1,144m。岩手県気北上市と金ヶ崎町の跨る焼石駒ケ岳は標高1,130m。秋田県仙北市と岩手県雫石町に跨る秋田駒ケ岳は標高1,637mで岩手駒ヶ岳とも呼ばれる。山形県米沢市と高畠町には山形駒ヶ岳、標高1,067mがある。福島県桧枝岐村に聳えるのは標高2,133mの会津駒ケ岳だ。全国にはいったい幾つの駒ケ岳があるのだろう。


1月25日(木)ヤミ米

戦中戦後の米不足時代、米だけで炊いたご飯が食べられず、ダイコンなどで増量した「かて飯」が普通だった。もっと米が逼迫したときには「おじや」で腹を満たした。小生は敗戦時に旧制中学校の4年生(今の高1)で食べ盛りだったので腹がへって困った。

とても信じられないことだろうが、そんな時代があったのである。軍需工場に動員されて働いていたうちは昼ご飯は「銀シャリ」と称したまともなご飯が食べられたが、本当にひもじい思いをしたのは敗戦になってからだった。

鍋物をした後の残り汁にご飯を入れて作る「おじや」はおいしいが、戦中戦後の水増し雑炊は汁の中に申しわけ程度に米粒が泳いでいるもので、とても腹の足しにはならなかった。あの時代は一部の人間を除いて肥満の人は見かけなかったような気がする。

それどころか栄養失調で死ぬ人が多かった。「ヤミ米」という言葉があった。米は配給でしか買えない建前であったが、高いカネさえ出せば闇のルートで米を手に入れることができた。そのヤミ米を東京などの大都会に運んで高値で売り付けて稼ぐ「かつぎ屋」と呼ばれた商売が成り立った時代である。

警察官が抜き打ちでヤミ米を摘発する。ヤミ米で稼ぐ商売人は仕方がないとしても、中には晴れ着と交換でやっと手に入れた米を没収される人もいた。職務とは言いながら取り締まる警察官も辛かったに違いない。


1月26日(金)肘折温泉

山形県の大蔵村肘折地区は豪雪地帯として知られる。現在の積雪量は3mほどあるそうだ。1階はすっぽり雪に埋もれているのだろう。道路の除雪は行われているのだろうが食料など生活必需品の確保にも苦労しているのではなかろうか。屋根に積もった雪の始末はどうしているのだろう。

今日も明日も雪が降るらしい。日中でも氷点下の日が続いている。自然豊かな温泉地で新緑のころ何度か訪れたことがある。泉質は塩化物泉・炭酸水素泉で高血圧・リウマチ・冷え性などに効能があり美肌の湯としても知られている。

肘を折った怪我の治療に効能があったので肘折温泉の名がついたと言う開湯伝説がつたえられているが、柳田国男は温泉街を貫流する銅山川がこの温泉街で大きく曲折している地形から肘折の名が生まれたとしている。古くから月山」など出羽三山への参道口として栄え、かつては多くの宿坊もあった。

朝市とコケシも有名である。朝市は冬場を除いて早朝から開かれる。近隣の農家のおばちゃんたちが山菜や畑で採れた野菜を道端に並べて商いをする。浴衣に下駄ばきの湯治客が品定めする風景がいかにも湯の町らしい。


1月27日(土)桜餅

和菓子屋に早くも桜餅が並ぶようになった。日本では季節を先取りする風習があるが、これもその一つであろう。桜餅の独特の匂いは餅を包んでいる桜の葉っぱにあるのだそうだ。どの桜の葉でもいい訳ではない。

サトザクラの中に「香桜」と言う特に香りが高いものがある。その葉を塩水に浸しておくと匂い成分が分解されて良い匂いがするようになるのだと言う。葉にはクマリンと言う匂い物質が糖と結合した形で含まれている。それが塩水で加水分解されてクマリンを遊離すると匂いを発するようになるのだそうだ。

18世紀の初めころ江戸・向島にある長命寺の門番をしていた山本新六が土手に植えられていた桜並木の落ち葉の始末に悩まされ、塩漬けにして保存しあん餅に巻いて売り出したところ大ヒットした。今も長命寺の桜餅の店が続いているそうだ。

ところで餅を巻いてある葉を食べるか食べないか。人それぞれの好みの問題だから、どちらが良いとも言えないが、小生は餅と一緒に食べた方が適度な塩味と香りがしておいしいと思う。


1月28日()花粉症にご用心

くしゃみと鼻水が出る。風邪を引いたわけでもないのに変だ。ひょっとしたらこれまで経験したことがない花粉症かも知れない。何しろ家に隣接してスギ林があるから花粉の供給には事欠かない。今まで花粉症にならなかったのが不思議なくらいだ。

同じようにスギ花粉に曝されていても花粉症を発症する人と発症しない人がいる。抵抗力が弱い人と強い人との差なのだろうか。花粉だけでは発症することが少ないと言う。花粉が排気ガスや都会の空気に多く含まれるPM2.5と言ったアジュバント物質と結びついて、体内でアレルギーを引き起こす抗体の生成を促進させる結果、アレルギー症状を悪化させると考えられている。

花粉症に対する絶対的な対策はないらしい。できることは高性能のマスクを着用すること、花粉が付着しにくい服装をすること、花粉は家に入る前に払い落とし屋内に持ち込まないことなどである。そして運悪く発症したら、症状を悪化させないために、なるべく早く専門医に相談することが大事である。

今年の春の花粉飛散量は、気象庁が今月16日に発表したところによると、東北から近畿、四国地方の広い範囲にわたって前シーズンを上回ると予想されている。東北地方の今年の飛散は2月下旬から3月中旬にかけてがピークとみられている。宮城、岩手、青森の太平洋側は特に飛散量が多そうだと言う。


1月29日(月)芭蕉煎餅

神社のお祭りの屋台で売っていた芭蕉煎餅は今でもあるのだろうか。ほんのり甘くサクサクした食感が懐かしい。芭蕉煎餅の原料は糯米だろう。あめ色をした長楕円形の薄っぺらな生煎餅を七輪の火で炙り箸で伸ばすと3倍くらいに膨れ上がる。焦げ過ぎないように気を配りながら、両面をこんがりきつね色に焼き上げるのが難しい。

生煎餅を買って来て家で焼いたがうまく行ったためしがない。商売人がやっているのを見ると簡単そうなのにそれなりのコツがあるらしい。七輪の炭火の上に魚を焼く金網を乗せ、その上で生餅を箸で押さえながら焼く。半分が焼けたら持ち替えて残り半分を焼く。

生焼けだと硬くておいしくない。絶妙の火加減と適度に火を通す職人技が作り出す食品である。仙台で食べた芭蕉煎餅が大阪にもあった。大阪のはピンクや緑に色付けしたものもあるが芭蕉の葉を象った形は同じである。芭蕉とはバナナのことである。京都にもあるらしい。遠く離れた地域で似たようなものがあるのはルーツは一つなのだろうか。秋田にも同じようなものがあるらしいが見たことはない。


1月30日(火)ガソリンの匂い

子どものころの仙台市内は数えるほどしか車が走っていなかった。流しのタクシーは皆無で全部車庫待ちであった。しかもほとんどが外国産の大型車で気軽に利用できるものではなかった。そんな中で国産のボンネットバスは市街電車と並んで庶民の足として利用者が多かった。交通量が少ないので渋滞することなくスイスイ走れたのだろ。

バス通りに出てバスが通るのを待ち、その排気ガスの匂いを嗅ぐのが楽しみだった。あの頃(昭和初期)のガソリンの匂いは不快なものではなかった。むしろ心地よい匂いがしたのである。吸えばもちろん身体に良い訳はないのだが、そんな知識もなかったからバスの後を追いかけたものである。

今では危険でそんな真似はできないけれども、めったに車が通らずバスを追いかけても誰にも咎められないのんびりした時代だった。排気ガスの匂いが良かったのは使っていたガソリンが現在のものとは違っていたのだと想像するが、どこがどう異なるのかは分からない。

ガソリンは芳香族化合物の一つで人間が好む匂い物質を含んでいる。シンナーほど癖になることはないけれども、からだに良くないことは確かだから、なるべく吸わないように心掛けた方がいい。


1月31日(水)皆既月食

今夜皆既月食が見られると言う。天気次第であるが今夜の仙台は雲が多く条件はあまり良くないようである。皆既月食は太陽と地球、月が一直線に並んで、満月がすっぽり地球の影に覆われる現象で、日本で皆既月食が見られるのはおおよそ3年ぶりである。

午後8時48分ころから欠けはじめ午後9時51分ころ月全体が地球の影に入る。皆既月食は午後11時8分ころまで続く。暗くなった月は全く見えなくなるわけではない。地球を覆う大気層で屈折した太陽の光が僅かながら月に届き月は独特の赤黒い色に見える。

皆既月食の色は大気中の塵が多いか少ないかによって毎回違うと言う。塵が少なければ明るいオレンジ色、チリが多ければ黒っぽく見えるそうだ。そして2月1日の午前0時11分ころ元の満月に戻る。月が暗くなる時間帯は普段はっきり見えない満天の星が見られる機会でもある。がっちり寒さ対策をして夜空を眺めてみてはいかがだろう。


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