2月上旬の閑話


[TAKESIの部屋] [旬の話題] [仙台方言あそび] [閑話365日


2月1日(木)ハクサイとサンマ

野菜の値段が高い。わが家は夫婦だけだから消費量も少ないので大した影響は無いけれども、家族が多いと出費がかさむ。値段が安定して台所を助けているのはモヤシぐらいのものか。ハクサイは一株の半分あるいは四半分に切って売られている。丸ごと買う人は少ないようである。

学校給食も四苦八苦のようだ。子どもにだけはたっぷり食べさせたいものであるが、限られた予算では難しいらしい。今年は聞かないけれども、キャベツが豊作で値崩れし、出荷しても採算が取れないからと、収穫しないまま畑に漉き込んで肥料にする話を聞いたことがある。誠にもったいないことであるが市場原理とはそういうものである。

その一方で大衆魚のサンマが不漁、ウナギの稚魚のシラスウナギも極端な不猟だと言う。ぜいたく品のウナギは食べなくてもいいけれども食べなれたサンマの不漁は困る。サンマが集まる海域が変わったことも影響しているのだろうが、経済的に豊かになって需要が急増した中国の漁船が乱獲しているせいだと言う話もある。

獲れるサンマの魚体が小さくなっていると言う。それも乱獲のせいだろうか。漁業資源保護の立場からも国際的規制が必要なのかもしれない。鮮魚売り場に並んでいるサンマは冷凍ものを解凍して売っているのだろうが、不漁が続いたらサンマも高嶺の花になってしまうかもしれない。サンマ好きとしては甚だ困るのである。


2月2日(金)長生きは良い事か

人間は健康体であれば120歳ぐらいまでは生きるらしい。小生は間もなく米寿になるが、それ以降さらに30数年生きるとなると考えてしまう。別に早く死にたいわけではないが、自分で動き回ることが出来ず頭も空っぽになってまで生きていて何になるのだろうと思う。

思考を停止したら人は人間でなくなる。医学の進歩と生活環境の改善などで日本人の寿命は延びてきたが、寝たきりになって自力で食べることも出来なくなり、チューブで栄養を補給し人工呼吸器のお世話になって命をつないでいるだけでは生きている意味がないではないか。

身内や親しい人は、それでも生きていて欲しいと思うかもしれない。でも小生はそこまでして、生かしてもらうのはお断りだ。死期を悟った動物は自分で人目につかない死に場所を探し、ひっそりと自然に帰ってゆくと言うではないか。しがらみの多い人間は動物のようには行かないまでも、終末期を迎えたら余計な延命は無用である。身内の者にもかかりつけの医者にもそのことは言っておきたい。

日本は長年の努力で長寿社会になった。それはそれで目出度いことではあるけれども、一方で働けなくなった老人を支える費用が働き手に重くのしかかっていることも見逃せない。老々介護で疲れ果て無理心中の悲劇も起きる。長生きが良いとばかりは言えない世の中になった。日本の社会制度は増える一方の老人対策に追いつかず、今後大きな社会問題になりそうだ。長寿は手放しでは喜べない。


2月3日(土)節分

「節分」である。「雑節」の一つで各季節の始まりの日を指す。夫婦二人きりの生活になってからは豆まきをしなくなり特別の日ではなくなった。でもこのころになると何となく空気が春めいてくる。冬至から一カ月以上経ち日も大分長くなった。

むかしは季節の変わり目に邪気が生じると考えられていた。それを追い払うために土で作った土偶と土牛を内裏の四つの門に置いたのが始まりだと言う。宮中で「鬼は外、福は内」と唱えながら豆まきをするようになったのは15世紀半ばころからで、それが次第に民間にも広まった。

しかし鬼を祭神とする神社もあり、そこでは「鬼も内」と唱えるという。丹羽を姓とする家でも「鬼(お丹羽)は外」と言うのを避けて「福は内、鬼も内」とするところもあるそうだ。むかしは豆まきは家長であり一家の主がするるものだった。

マスに入れた煎った大豆を勢いよく撒く。その豆を拾って歳の数だけ食べれば無病息災で過ごせると言われた。子どものころ年寄りはたくさん食べられて羨ましいと思ったことがある。現在は拾った豆を食べるのは衛生上よくないと、殻に入った落花生を撒くところもあるらしい。

東北地方にはもともとなかった風習であるが、近年「恵方巻」をスーパーで売っているようになった。節分に恵方を向いて無言で食べると縁起が良いと言われる。


2月4日()鬼と虎パンツ

節分に豆を投げつけられて追い払われる鬼は邪気を象徴する架空の生き物である。その鬼はなぜ虎縞のパンツをはいているのだろうか。それは藤原時代に中国から伝わった「陰陽五行」の考えに基づくものらしい。

陰陽五行では鬼は北東の方角から出入りすると考えられていた。だからその方角を鬼門と言う。十二支で言うと鬼門は丑寅(うしとら)の方角になる。つまり鬼は牛の角を生やし虎皮のパンツをはいた異界のものとしてイメージされていた。そして不幸をもたらし平穏な生活を脅かす存在と考えられていた。

単なる想像に過ぎないけれども、虎パンツはその異界の恐ろしい生き物を、いやが上にも恐ろしく見せる演出ではなかったのだろうか。虎模様パンツと金棒でまさに「鬼に金棒」という訳だ。

日本には昔から牛はいたが虎はいなかった。虎はあくまで想像上の動物だったのである。江戸時代に描かれた絵画に出て来る虎はネコを大型にしたようなもので猛獣の感じがしない。実際の虎を見たことがないのでそうなったのかもしれない。

虎は世界的に絶滅が危惧されている動物である。美しい毛皮ゆえに乱獲されたり、開発で住める場所を奪われたりしている。絶滅したら剥製でしか見ることができなくなる貴重な生き物なのだ。。


2月5日(月)ホッケよ、お前もか

ホッケの生干をよく食べる。どちらかと言うと下種な魚であるが、小骨が少なくて食べやすいからだ。当たりはずれがあるけれども脂がのって、いい塩梅の塩味のものは実にうまい。ホッケは漢字で𩸽と書く。生きているホッケを見たことがないが、若いホッケの体色が花のように美しいらしい。

ホッケは北の冷たい海に棲んでいる魚である。成魚は水深100m前後の大陸棚に生息し、海底生物や他の魚の卵、プランクトンなどを食べていると言う。北海道の日本海沿岸では春から初夏の間に海面近くで群れをなす「ホッケ柱」が見られると言う。集団でプランクトンを捕食する現象らしい。

漁獲は底曳き網、巻き網、定置網などで行われる。かつては安魚の代表格であったが水温上昇や乱獲のため漁獲量が激減し値段が高騰した。特に道央の日本海からオホーツク海では2012年から漁獲制限が実施されている。たんぱく源を肉に比べて安い魚に頼って来た小生としては「ホッケよ、お前もか」と言いたくなるが、資源回復のめどはたっていないと言う。


2月6日(火)臨時休刊


2月7日(水)豪雪と寒波

西日本や北陸、東北の日本海側が豪雪に見舞われている。脱輪して動けなくなったトラックのために、後続の車が数珠つなぎになり立ち往生する事態も起きた。十数時間も車内に閉じ込められ、寒さと空腹に耐えながら救出を待っている人もいる。

暖を取るためにエンジンをかけっぱなしにするのは危険を伴う。雪で排気に支障が出ると車内に有毒ガスが充満し最悪の場合死に至る危険もある。燃料補給のため自衛隊が出動したと言う。輸送がとだえてスーパーの弁当売り場が空っぽになったり日常生活にも支障が出ている。

一人暮らしのお年寄りはどうしているのだろうと気になる。除雪もままならず買い物にも行けない人は食べ物にも困っているのではなかろうかと心配である。雪がほとんど降らない仙台に住んで本当によかったと思う。

今年の冬は例年に比べて寒さが厳しいようだ。テレビで放映される気象予報図を見ると、北から筋状の雲がびっしり並んで日本海を渡り日本列島に押し寄せているのが分かる。この寒さはいつまで続くのだろう。「春よ来い、早く来い」である。ロウバイの花がやっと満開になった。


2月8日(木)災害は忘れたころに

大きな自然災害の前に人間は無力である。記録的な大雪に見舞われた北陸地方は未だに交通機関や住民の暮らしに影響が続いている。忘れられないのは平成23年3月11日に起きた東日本大震災である。わが家は幸い軽度の被害で済んだが、いちばん困ったのは飲み水とトイレに流す水だった。

断水が半月ほど続いた。各地から復旧応援応援に人々が駆けつけてくれて心強かった。断水しなかった地域に住んでいた甥が大きなポリ容器に入れた飲み水を届けてくれた。あの時ほど水のありがたさを感じたことはなかった。トイレの水は家の敷地に隣接する池の水を利用した。バケツに汲んだ水を何度も家に運ぶのがしんどかった。近所にそうした水源がなかった家庭の苦労がしのばれる。

それ以来飲み水と非常食は欠かさぬように心掛けているが、乾パンやお湯を注ぐだけで食べられるご飯などの保存食はいつの間にかストックがなくなっていることが多い。消費したら必ず補充するのが鉄則であるのに、天災は忘れたころにやってくると言う先人の警告を忘れがちである。

死者・行方不明者が1万9千人近くに及んだことも遠い昔のことのように思われる。肉親や親しい人を失った人には決して忘れることができない災害に違いないが、直接わが身に降りかかった災害でなければ、何時しか記憶が薄れてしまうのは致し方ないのだろうか。


2月9日(金)バナナとカステラ

子どものころ大人になったら思う存分食べてみたいと思ったものが二つある。バナナとカステラである。バナナは近所の神社のお祭りのときか遠足のときしか食べられなかった。カステラは到来物か病気で寝込んだ時に栄養補給のために食べさせてもらう貴重品だった。

昭和10年代初めのころバナナは1本3銭ぐらいだったと思う。子どものお小遣いが1銭のころである。1銭はどのくらいの価値だったか。ピーナッツ煎餅やゴマ煎餅が2枚、大きな飴玉が2個買えた時代に1本3銭のバナナは容易に買えるものではなかった。

日本領土だった台湾などで作られたバナナが船で運ばれ、さらに列車で仙台まで運ばれる運賃を考えると決して不当な値段ではなかったと思えるが、めったに食べられない貴重品だった。

一方カステラはもっと高嶺の花だった。1年に1度か2度ぐらいしかお目にかかれなかった。当時のカステラは恭しく桐の箱に納められた見るからに高価そうなものだった。貧乏暮らしのわが家で買えるようなものではなかったから、おそらく頂戴ものだったのだろう。

蓋を開けると箱一杯に詰められたカステラが現れる。切り分けると焦げ茶色の表皮の下から鮮やかな黄色が現れる。同時にカステラ独特の甘い香りが漂う。カステラの底の部分にくっ付いているザラメのカリカリした噛み応えが懐かしい。長年カステラと縁遠くなっているが、今でもカステラの底にはザラメが付いているのだろうか。試しに買ってみよう。


2月10日(土)義理チョコ

バレンタインデーが近づいてきた。仕事を辞めてから「義理チョコ」をもらうこともなくなり、いささか寂しくなったが、己の年齢を考えれば当たり前のことである。男女が愛を確かめ合うこのバレタインデー、実は悲惨な歴史を抱えている。

古代ローマでは2月14日は女神・ユーノーの祝日だった。ユーノーは万能の神であり家庭と結婚の神でもあた。翌15日は豊作を祈念するルペルカリア祭が始まる日である。当時のローマ社会では若い男女の生活は分離されていて巡り合える機会がほとんどなかった。

未婚の娘たちは祭の前日に自分の名前を書いた札を桶の中に入れるきまりになっていた。独身の若者は15日に桶の中から札を1枚引き、引いた札に書かれている名前の娘と祭の期間中パートナーとして過ごす習わしだった。そうしてめでたく結ばれるカップルが多くいた一方で、ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は横槍を入れる。

愛人がいる兵士は士気が落ちると言う理由で兵士の結婚を禁止したのである。これに対して司祭のバレンタインは異議を唱え、兵士らのためにひそかに結婚式をしてやった。それと知って怒った皇帝はバレンタインに兵士の結婚式を止めるように命ずる。しかしバレタインはそれを拒否したために捕らえられ、ユーノーの祝日の前日、つまり2月14日に処刑された。そしてこの日は永遠に「恋人たちの日」となったと言う。

ちなみに2月14日に女性がお目当ての男性(義理は別)にチョコを贈る習慣は、某チョコメーカーが仕掛けた日本独自のもので普遍的ではない。



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