2月中旬の閑話


TAKESIの部屋] [旬の話題] [仙台方言あそび] [閑話365日


2月11日()言葉の壁

駆け出し記者のころ先輩によく言われたことがある。記事は足で書け、裏を取れとか耳にタコができるほど聞かされた。それと並んで言われたのが「手垢のついた言葉は使うな」と言うのがあった。「手垢のついた言葉」と言う表現自体、手垢が付いていると思ったものだ。

先輩は常套句や言いならされた表現を安易に使わずに、もう一工夫しろと言いたかったのだろうが難しい課題だった。考えてみると、そもそも手垢が付いていない言葉なんてあるはずがない。言葉が共通の認識を持つのは、多くの人に使われて手垢が付くからこそ誤解されないようになるのではないか。

世の中の変化に伴って新しい言葉が次々生まれる。特に若者は旧式人間には理解できないような言葉や短縮語を連発する。それが彼らの連帯意識を醸し出すのだろう。しかしその若者もやがてこの頃の若者の言葉にはついて行けないと感じる旧式人間になる。

士農工商と身分によって使う言葉まで違っていた時代もあったが、現代ではその垣根が取り払われて、意思の疎通が容易になった。でも年齢による言葉の壁は逆に高くなったような気がする。言葉は常に変化してやまないものだから良いとか悪いとかの問題ではない。頭が固くなった老人は、通訳なしでは若者の会話について行けないもどかしさと寂しさを感じるだけである。


2月12日(月)雪やこんこ

昨夜から雪が降り続いている。10cmほどは積っただろうか。明日まで断続的に降り続くそうだから、仙台でもかなりの積雪になりそうだ。コナラやドウダンツツジなどの落葉樹も小枝の先まで湿った雪がついて花が咲いたように美しい朝を迎えた。

雪やこんこ霰(あられ)やこんこ
降っては降ってはずんずん積る
山も野原も綿帽子かぶり
枯木残らず花が咲く

作詞・作曲不詳のこの歌は、明治44年6月に尋常小学唱歌に採用されて以来、延々と歌い継がれてきた。変わったことと言えば歌詞の二番に出てくる「犬は喜び庭駆けまわり猫は炬燵で丸くなる」風景だろうか。犬は繋がれて駆けまわることができないし、猫は寒さに強くなったのか勝手に出歩いている

これぐらいの雪では交通に支障は出ないだろうが、外出は控えた方がいい。幸い今日は「建国記念の日」の振り替え休日なので勤めも学校も休みである。問題は明日までどれくらい積るかである。

雪は大気中の塵を吸着して空気の汚れを取ってくれると言う。雪国では巨大な倉庫に雪を貯蔵して、その冷気で野菜や果物を貯蔵したり熟成に利用しているが、春先に残った雪は黒ずんで、純白に見えた雪が実は大変汚れていることが分かる。子どものころは雪を食べたりしたものだが、あのころはまだ今ほど雪の汚れがなかったのだろう。


2月13日(火)春の小川

一昨日降った雪がどんどん溶けて歩きやすくなった。雨水溝に集まった水が勢いよく流れ、道の曲がり角の大きなマスに集まってドボンドボンと音を立てている。こうした人工的な水流は風情がないけれども、近所を流れている曲がりくねった自然の小川には懐かしさを感じる。水に鉄分を含んでいるためか、川床が赤茶けた錆色をしている。

ひと跨ぎで渡れそうな貧弱な小川に過ぎないが、やや下ったところの橋のたもとに「一級河川後田川」の看板が建っている。やがて名取川に合流し閖上港で太平洋に注ぐ。名取川は仙台市街地を貫流する広瀬川も合流する大河だから、その支流は細くても一級河川なのだろうか。

この後田川は今は住宅密集地を流れているが、かつては田んぼや畠を潤していたのだろう。今も枯草色の土手にその名残をとどめている。この小川を見る度に子どものころ歌った「春の小川」と言う唱歌を思い浮かべる。

小生が習った歌詞は今も歌い継がれている歌詞とは違っていた。
1、春の小川はさらさら流る。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  匂いめでたく、色うつくしく
  咲けよ咲けよと、ささやく如く。

それが1942年の国民学校移行に伴って次のような歌詞になった。
1、春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく色うつくしく
  咲いているねと、ささやきながら

さらに戦後の1947年には1番の歌詞の最後が「咲けよ咲けよと、ささやきながら」に改められている。だから年齢によって教えられる歌詞がころころ変わった歌なのだ。歌詞に出てくる「れんげの花」は「レンゲソウ」のことである。  


2月14日(水)1級河川と2級河川

昨日疑問に思った1級河川と2級河川の区別は何に基づいているのか。国土交通省は1級河川は原則として2つ以上の都府県に跨る重要な水系で国土交通大臣が指定したものと定めている。水系ごとの指定なので昨日問題にした後田川のような小さな支流でも1級河川であり得るわけである。2級河川は原則として一つの都道府県内を流れる水系で都道府県知事が指定したものと定義されている。

例外的に北海道の河川は道内だけを流れていても1級河川であり、沖縄県の川は複数県に跨って流れることはないので1級河川ではない。ちょっと変な感じであるがそのようになっている。

河川には1級、2級に区別の他に、市町村長が管理し2級河川の規定が準用される「準用河川」と、法律の定めがない「普通河川」がある。普通河川の管理は特に規定がないので、どのような管理を行うかは市町村長が決めることになっている。宮城県内を流れる1級河川は鳴瀬川、名取川、阿武隈川であり、2級河川は高木川と七北田川である。


2月15日(木)モズ

家の周辺は自然が豊かなので多くに野鳥がやってくる。もっとも頻度が高いのはシジュウカラだろうか。スズメほどの大きさで喉から胸にかけて黒いネクタイをしているような模様があるダンディーな小鳥である。ヤマガラはもっとカラフルである。頭頂と喉は黒、翼は灰色、背中と腹はオレンジ。集団でやってくるのはエナガである。体長はスズメぐらいであるが尻尾を除いたからだの部分はスズメよりだいぶ小さい。

これらの小鳥は主に毛虫など昆虫の幼虫や木の実などを食べているようであるが、ヤマガラはヒマワリの種を脚で押さえて器用に実をこじ開けて食べている。これらの小鳥と行動を共にしないものもいる。モズは単独行動を好むようである。

体長は約20pでスズメよりやや大型である。からだ全体が淡褐色から黒褐色でオスは夏にオレンジ色が多くなるようだ。良く樹木のてっぺんにとまって鳴いているのを目撃する。この鳥は獲物をその場で食べずに尖ったものに刺しておく「モズの早贄(はやにえ)」と言う習性が知られている。早贄は昆虫のほかカエルやトカゲなどのこともある。

この習性は何のために行われるのか良く分かっていない。保存食なら後から食べにやって来るはずだが、忘れて食べ残しtいるものも多いと言う。モズの嘴は猛禽類のように彎曲し鋭い。それなのに脚で獲物を押さえる力が弱いので尖ったものに刺すのだと言う説もあるがはっきりしない。


2月16日(金)ラニーニャ現象

この冬は寒さが厳しい。今朝のニュースでその原因にペルー沖の赤道付近の海水温が低くなるラニーニャ現象が関係しているようだと言う。ラニーニャ現象が起きると、冬場は西高東低の気圧配置が強くなり気温が低くなる傾向があるのだそうだ。

日本から見れば地球の反対側に当たる海域の温度変化が日本に影響するとは驚きだ。遠く離れていても太平洋と言う一つの海で繋がっているのだから当たり前のことかもしれないが、今年の夏は太平洋高気圧の北への張り出しが弱くなり、北日本が雨が多く日照時間が少なくなる可能性があると言う。

日本でラニーニャ現象の影響を受けたのは最近では2010年夏から2011年春にかけてであった。2010年8月は観測史上1位の猛暑に見舞われた。気象庁は30年に1度の異常気象を認定したほどである。しかし同じようにラニーニャ現象が見られた2016年9月から2017年2月までは特に目立った気温変動は見られなかった。

今回のラニーニャ現象が日本にどのような影響を与えるのか分からないが、日本海側が突発的大雪に襲われることもあるので本格的春になるまで油断はできない。


2月17日(土)賭博と食事

マグロを中に入れた細い海苔巻寿司を「てっか巻き」と言う。「鉄火巻き」と書くらしいが、それでは「鉄火」とは何か。物の本によると鉄火とは真っ赤に熱した鉄のことだと言う。マグロの赤身をその鉄火に例えての命名だと言う。

もう一つの説がある。それは「鉄火場」に由来すると言うもの。鉄火場とは博打場(ばくちば)のことで、賭けに熱中した博徒たちが手軽に摘まめるように工夫した食べ物が始まりだと言う説である。鉄火巻きと言う名称は江戸末期から明治に初めころに定着したと言われている。

それ以前にも「鉄火ずし」と呼ばれていた寿司が存在したが、それは芝エビを煮て刻んだものを酢飯に交ぜたもので海苔巻き寿司ではなかった。その芝エビがマグロに代わり、海苔で巻いて鉄火巻きになったのだと言う。

洋の東西を問わず博打は人間を夢中にさせ、食事の時間も惜しむようになるらしい。カードゲームに取りつかれたイギリスの第4代サンドイッチ伯爵ジョン・モンタギューが、トーストに牛肉を挟んでゲームの合間に食べたものがサンドイッチと言う名で広まったと伝えられている。でも要職に就いていたサンドイッチ伯爵が博打にのめり込むような暇は無かったと言う反論もある。

麻雀の合間にラーメンなどの軽食を食べる習慣は日本にもある。博打と手軽な食事は切っても切れない繋がりがあるようだ。


2月18日()仕草の違い

色々な場面で無意識に行う人の仕草は民族によって違うようである。例えば日本人が離れたところにいる人に向かって、こちらに来てもらいたいときには、いわゆる「おいでおいで」の仕草をする。その時は手の甲を上にして腕を前方に伸ばし手首を上下に振る仕草が一般的である。

同じ意思表示を欧米人はどうするか。大概の人は手の平を上に向けて伸ばした腕を曲げて合図するのが一般的である。つまり呼び寄せる相手に手の甲を見せる仕草である。この全く正反対の仕草の違いはどのようにして生まれたのだろう。

欧米人が物事に失敗した時などに見せる仕草も独特である。両腕を斜め下に伸ばし、手の平を相手に見せる形で肩を持ち上げる仕草をする。日本人は同じ感情を表す時にどうするか。がっくり肩を落とすのが普通ではなかろうか。

日本人が幼い子連れの知人に道で会ったとき「まあかわいいこと」と幼児の頭をなでる光景が普通にみられるけれども、それがある地域では誤解を招くこともあるそうだ。インドネシアなど左手を不浄とみなす文化圏である。左手で幼児の頭を撫でたら親の怒りをかうという。

日本人の海外渡航は年々増えている。異文化に触れる機会が増えて結構なことではあるが、変な誤解を招かないように渡航先の文化もきちんと調べてから行きたいものである。


2月19日(月)どこかで春が

今日は二十四節季の一つ「雨水(うすい)」である。春めいてきて雪が雨に変わり、雪解けが進むころと言われている。雪崩や屋根からの落雪に注意しなければならない季節でもあるが、農家では農作業の準備に取り掛かる。寒さはまだ厳しいけれども太陽の光が一段と力強くなって、春がすぐそこまで来ていることを感じさせる。

どこかで「春」が生まれてる
どこかで水が流れ出す
どこかで雲雀が啼いている
どこかで芽の出る音がする
山の三月
そよ風吹いて
どこかで「春」が生まれてっる

百田宗治作詞、早川信作曲のこの歌は1923年(大正12年)に発表されていらい、連綿と歌い継がれている名曲である。歌詞のように「春」はどこかで生まれる感じである。風はまだ冷たくても、どこか温もりを感じさせるようになる。三寒四温を繰り返しながら季節は着実に春に向かっているのだ。

手入れが行き届かない庭の雑草の中に、そろそろフキノトウが顔を出すころである。今朝庭を一巡したが一つも出ていなかった。ちょっと早すぎたかな。野生化したミツバが地べたにへばり付いていた。


2月20日(火)今日から土曜日まで休刊


inserted by FC2 system