3月中旬の閑話


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3月11日()あれから7年

あれからもう7年の歳月が流れたと思うか、あるいはまだ7年しか経っていないと思うか、人それぞれの思いはあるだろうが、東日本大震災の記憶はまだ生々しい。今日の仙台は穏やかに晴れているが、あの日は霙が降る寒い日だった。

わが家は幸い家屋の被害が少なくて生活に困ることはなかったが、断水して飲み水と風呂に困った。通水したのは確か27日だったと思う。それまでは買い置きのペットボトルの水と、断水しなかった地域に住んでいた甥が届けてくれたポリ容器の水でしのいだ。あれほど水のありがたさを痛感したことはない。人間は遭難など過酷な状況に置かれても、致命傷や極端な寒さなどに曝されない限り、水さえあればしばらく命をつなぐことができる。

それに何よりもうれしかったのは身内や知り合いに1人の犠牲者も出なかったことである。あの地震と津波による犠牲者は1万6千人弱、未だに行方が分からない人も2千5百人を数えると言う。そうした人々の関係者はどんな気持ちで過去7年間を過ごしてきたのだろう。

世界的にみても日本は地震が多い国である。近年では死者22万人を出した2004年12月26日のスマトラ島沖地震が記憶に新しい。2015年4月25日に起きたネパール地震では9千人近くの人が犠牲になった。

反対に自然災害が少ない国はどこだろう。1位はカタールである。地震も無ければハリケーンも来ない。旱魃に見舞われることもなく火山の噴火もない。おまけに世界一お金持ちの国である。税金無し、医療費無料、教育費無料、公共料金も無料。こんな国に住んでみたいものである。


3月12日(月)臨時休刊


3月13日(火)眠ると言うこと

赤ん坊は一日の大半を眠って暮らす。おむつが汚れて気持ちが悪いときと腹が減った時に、それを知らせるために大声で泣く以外は実によく眠る。胎内でもほとんど眠っていたのだろう。健康に老いた老人も赤ん坊と同じようによく眠る。そして眠りながら大往生する。

わが身を顧みると近年眠っている時間が長くなったような気がする。最近は夜10時ころには就寝し、朝方6時過ぎに目覚めるから平均で8時間あまり眠っている勘定である。仕事をしていたころは眠いのを我慢していたこともあるが、それほど眠いとは思わなかった。

仕事からくる緊張がそうさせたのか、生理的にそうだったのか分からないけれども、6時間も眠れば十分だった。それが今はどうか。昼寝をした日などは一日の半分位を寝て暮らすことも珍しくはない。世のために役立ちもせず食っちゃ寝るだけでは誠に申し訳ないが、赤ん坊のように眠っている時間がだんだん長くなって、最後は眠ったきりになるような気がする。

眠ると言うことは生きるために必要不可欠なことである。眠らせなければ人間は必ず死ぬ。眠っている間に脳を休ませ疲れた筋肉や内臓に休息を与えるから元気を取り戻せるのだ。進学を目指して奮闘中の諸君、どうが十分に睡眠をとって頑張ってくれたまえ。


3月14日(水)春がすみ

書斎の窓から普段は太平洋がくっきり見えるのに今日は薄ぼんやりとしている。いわゆる春霞と言うのだろう。地表が暖められて立ち上る水蒸気のせいなのか、中国大陸から飛んでくる黄砂なのか、あるいは風が強いのでスギ花粉が飛散しているのか分からないが、建物も周りの景色も輪郭がぼやけて見える。

ふと清少納言の「枕草子」の冒頭を思い出した。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」。夜明け方の山里の風景を余すところなくとらえている。海と山の違いはあっても春の夜明けは、ものみな眠気を誘うような佇まいである。

この時期に見る月の風情もいい。秋から冬にかけての冴え冴えした月に比べて潤いを帯びた温かみを感じさせる月である。「朧月夜」という小学校唱歌があった。

菜の花畠に 入日薄れ
見渡す山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し

作詞者は不明であるか岡野貞一作曲のこの歌は、大正3年6月に尋常小学校唱歌に採用されてから歌い継がれてきた。「祇園小唄」(長田幹彦作詞・佐々紅華作曲)にも朧の月が出て来る。

月はおぼろに東山
霞む夜ごとのかがり火に
夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に
祇園恋しやだらりの帯よ

日本人には朧に見えるものを好む性癖があるような気がする。物事を曖昧にする悪癖にもつながるが、事を荒立てないクッションの役目をすることもある。次の満月は3月31日である。果たして朧月夜になるだろうか。


3月15日(木)ウメの蕾

庭の「南高梅」の蕾がほの赤く色づいてきた。暖かい気温で目覚めたらしい。でも寒さがぶり返すと言うから開花はまだ先のことだろう。この梅の花は蕾のうちは紅色が目立つけれども開花するとほとんど白に近い色になる。花びらの内側が白に近いからなのだろう。

南高梅の実は大きい。梅雨のころピンポン玉よりもやや大きめの実が黄熟する。赤味を帯びた実は肉厚で種が小さく皮が柔らかい。わが家ではもっぱら氷砂糖と焼酎で漬け込んでシロップを作り夏の飲料とすることが多い。水で薄めて飲むと爽やかで清涼感がある。

良く洗って水気を拭き取った実と氷砂糖を交互に広口瓶に入れ、焼酎を注いで冷暗所に貯蔵する。初め透明だった液体が半年もたつと薄いあめ色になって来る。そうなったら梅の実は取り出すことが多いようであるが、わが家では取り出さずにそのままにしている。

ウメにウグイスは付きものだが今朝ウグイスの初音を聞いた。このところの陽気に誘われて鳴きはじめたらしい。ウグイスは鳴きはじめはぎこちないものであるが今朝聞いたウグイスは立派に「ホーホケキョ」と鳴いていた。人知れず歌の練習を重ねていたのだろう。開けた土地が近所にないせいか、今の家に引っ越してからヒバリの囀りを聞いたことがない。


3月16日(金)臭いもの蓋

「臭いものに蓋」という諺がある。不正や世間に知られたくないことを隠すために、一時しのぎの手段で覆い隠すことを言う。森友学園の国有地取引を巡る財務省決済文書の改ざん問題は、臭いものに蓋をしようとしたのに、蓋をする先から次々に臭気が漏れ出した図に似ている。臭いものに蓋をしようとしても所詮は無駄であることを物語っている。

真相は依然闇の中であるが、文書には複数政治家や昭惠首相夫人の名前も記されていると言われ、真相解明が期待される。決済済みの公文書を改ざんすること自体、重大な犯罪行為であるが、上司の命令で改ざんにかかわった職員が遺書を残して自殺に追い込まれた。

政府は佐川宣寿・前国税長官の辞任で野党の追及をかわそうとしているようであるが、トカゲのしっぽ切りのような、あいまいな決着は断じて許されない。改ざんを命令したのは誰なのか、本当の責任はだれが負うべきなのか国民の前に明らかにしてもらいたい。民主主義の根幹にかかわる重大問題であることを認識して監視の目を緩めてはならない。


3月17日(土)五体満足の幸せ

安眠を妨げるものに音がある。耳慣れた音なら少々大きな音でも苦もなく眠りに就けることもあるが、慣れない音を聞くとなかなか寝付けないものである。海辺に住んでいる人は打ち寄せる波の音を子守歌と聞くこともできよう。列車の車輪がレールの継ぎ目や摩擦で出す音を耐えがたい騒音と感じる人もいれば、沿線に住んで慣れ親しんでいる人もいる。

そのように同じ音でも受け取り方はさまざまであるが、音のない世界は人間にとって危険であるし不気味である。普通の聴力を持っている人は周囲の音から多くの情報を得ている。異常な音を聞けば音源の方に目を向けるし、飛行機雲を引きながら高空を飛ぶ飛行機を見つけることも出来る。

音を失った人の不自由さは健常者の想像を絶するものがあるのだろう。音ばかりでない。腕や足を失った人の苦痛はいかばかりかと思う。平昌冬季オリンピックで活躍する選手たちを見て、ハンディを乗り越える意志の強さとスキルを磨く不断の努力の積み重ねに頭が下がる思いがする。

老化で立ち居振る舞いがのろくなり頭の回転も鈍くなったが、五体満足でいられる幸せを改めて噛みしめている。


3月18日()彼岸入り

春の彼岸入りである。先祖のお墓が遠隔地にあり墓参が難しい人は遥拝でも許してもらえるだろう。要はご先祖を思い出し供養の心を忘れなければいい。両親や兄弟のように一緒に暮らしたことがある人ならば、その人の好物を仏壇にお供えし季節の花でおもてなしするのもいいだろう。

仏教ではこの世を此岸(此岸)、あの世を彼岸(ひがん)と言う。此岸は我々が住んでいる世界のことで、欲や煩悩に満ち溢れている。それを耐え忍ぶことをサンスクリット語で「サバ―」と言い、そこから娑婆(しゃば)という言葉が生まれた。

これに対して彼岸は欲や煩悩から解放された世界である。彼岸はサンスクリット語で「パーラム」と言う。お釈迦様は人々に彼岸に渡りなさいと説いた。渡ると言う意味のサンスクリット語「イター」と「パーラム」が結びついた「パーラミター」は中国で「波羅蜜多」と表記され大乗仏教の基本経典である般若波羅蜜多心経に受け継がれている。

此岸と彼岸の間には大河があるとされ、お釈迦様はその大河を渡るにはどうしたらいいかを説いた。「妻子も捨てて裸になれ」とおっしゃる。その方法とは六波羅蜜の実践である。六波羅蜜とは次の六つである。
1、布施波羅蜜 お布施をすること
2、持戒波羅蜜 戒律を守って生きること
3、忍辱波羅蜜 耐え忍ぶこと
4、精進波羅蜜 努力すること
5、禅定波羅蜜 座禅すること
6、智慧波羅蜜 前掲の五つの波羅蜜の実戦で得られる智慧

どれ一つとっても小生には難しい事ばかりにみえる。世俗にまみれた身は所詮救われないのだろうか。


3月19日(月)沈丁花の香り

ご近所の庭に沈丁花が咲いた。いい香りが漂っている。わが家の庭にもあったのだが、カミキリムシに食い荒らされて枯れてしまった。秋のキンモクセイと並んで芳香を放つ庭木として愛されている。花は外面が赤紫、内面が白で多数の花が集まって咲く。

ジンチョウゲは中国原産のジンチョウゲ科の常緑低木で日本へは15世紀の中ごろに渡来したらしい。香が良い沈香と丁子から一字ずつもらった贅沢な名前である。匂い成分は最近になって明らかになったが、まだ花から香料の採油は行われていない。技術的に難しいのだろうか。

沈香の匂い成分を嗅いだことがないのでどんな匂いか分からないけれども、昔から良い匂いの一つに数えられてきた。香木として焚くものだったらしい。「沈香も焚かず屁もひらず」という諺がある。沈香のような良い香りもなければ、おならのような悪臭もない、つまり良くも悪くもなく平々凡々なことを言う例えである。「栄光」や「不滅」などの花言葉を持つ沈丁花が屁と一緒にされるのは気の毒だ。何で上記のような諺が生まれたのか不思議である。


3月20日(火)臨時休刊


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