3月下旬の閑話


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3月21日(水)ツクシ

家から歩いて15分ほどのにところに大きなため池がある。農業用水に使うために作られた貯水池だったのだろうが、周囲が宅地化され田んぼがなくなって今では農業には使われなくなった。ちょろちょろ流れる小川から水が補給されていて年中同じ水位を保っている。

池に浮かぶ雑木が茂った島でカルガモが子育てをする。親ガモを先頭にヒヨコが一列になって水面を滑って行く微笑ましい姿を見ることも出来る。その池の周りの土手の斜面に毎年ツクシが無数に出る。若いツクシをお浸しやバター炒めにしたものは、シャキシャキしてほろ苦く春の匂いがする酒の肴になる。

池の土手に出かけるまでもなく、わが家の庭にもスギナがはびこりツクシが出てくる。酸性土壌を好む植物のようだ。ツクシはスギナの胞子を飛ばし勢力範囲を広げる役目をしている。

調理するにはツクシの茎についている袴(はかま)を取り除くのが面倒であるが、袴の根元を鋏で切ると簡単に取り除くことができる。下処理したツクシは沸騰したお湯に塩を入れ、さっと湯がいて笊にあげ冷ましてからタッパーに入れて冷蔵庫で保存できる。密閉できる保存袋に入れて冷凍すれば長期間保つのだろうが試したことはない。


3月22日(木)野生のクロッカス

昨日の夕方から雨が降り続いている。細かい雨で音もしない。この雨に誘われるように南高梅の蕾が開き始めた。冬枯れの芝生の中には色とりどりのクロッカスが花盛りである。クロッカスの故郷はヨーロッパ南部、地中海沿岸から小アジアにかけてである。

スイスの名峰・アイガー山ろくの草原に野生のクロッカスが群生していた風景を思い出す。山から雪解け水が小川となって急斜面を流れ落ちていた。日本ではもっぱら園芸用の花として花壇に植えられているが、野生のクロッカスの花畑は実に見事であった。

牧羊犬を連れた少年が棒切れを振り回して羊の群れを山の斜面の草原に追い上げていた。萌え出たばかりの草を存分に食べさせて、夕方にはまた麓の小屋へ連れて帰るのだろう。一見のんびりした風景だが、中学生ぐらいに見える少年にはかなりの重労働に違いない。肩にかけた粗末な布製のカバンには昼食のパンとチーズ、水筒が入っているのだろう。

豊かな国と思われているスイスでも、田舎に行けばまだ若年労働があるのかと不思議に思ったのを覚えている。山小屋を借りて自炊生活をしたアルプスの思い出は尽きない。


3月23日(金)シジミ

年中スーパーなどで売られているシジミに旬と言うものがあるのだろうか。産卵を控えて身が充実しているときが旨いのだろう。国内でシジミの生産がいちばん多いのは青森県である。十三湖や小川原湖はシジミの産地として知られている。全国の生産量の40%は青森産だと言う。

その次に生産量が多いのは島根県の宍道湖などで28%を占める。琵琶湖の瀬田シジミは有名であるが、統計に表れるほどの生産量はないようである。シジミはかつて無尽蔵に摂れるものと思われていたが、乱獲で資源量は激減している。

その隙間を埋めるために中国や台湾からタイワンシジミが輸入されるようになったが、それを増やそうとすると日本在来種のマシジミの絶滅を加速させることが分かった。味もマシジミに比べて劣る。シジミの産卵期は初夏から盛夏にかけてである。だから4月から5月にかけてが最も実が充実していておいしい季節である。

昔から土用シジミと言って夏場に勢力をつけるために盛んに消費されたが、おいしさの観点からすれば産卵期を終えたばかりでおいしいはずがない。今が一番うまい季節だから国産か輸入品かを確かめて国産シジミを味わってほしい。


3月24日(土)梅の効用

庭の南高梅が咲き始めた。今朝梢近くに一輪だけ咲いているのを見つけただけであるが、今日は暖かいのでもう少し咲くだろう。「梅一輪いちりんほどの暖かさ」と言う俳句がある。松尾芭蕉の弟子・服部嵐雪(はっとりらんせつ)が詠んだ俳句である。

素直にとれば、梅が一輪咲いた、その一輪ほどの暖かさを感じると言う意味だろうが、梅が一輪また一輪と咲いて、少しずつ暖かくなって行く春の気配を表した句とも読める。平安時代までは桜よりも梅の方に人気があったそうだ。花もさることながら実の実用性が注目されていたのかもしれない。

梅の原産地は中国の四川省から湖北省にかけての山岳地帯である。この地域では約2,500年前から栽培されていたと考えられる。「日本書記」や「古事記」にも記載されているから日本でも古くから栽培されていたようだ。

梅干にはいろいろな薬効がある。梅干を思い出しただけでも唾が湧いてきて食物の消化に役立つが、不足しがちなカルシウムを効率的に吸収するには梅干が役立つ。梅干に含まれれるクエン酸がカルシウムの吸収を助け精神安定に効果がある。また梅干は胃液の分泌を正常にし胃潰瘍の予防にも効果がある。梅干には強い殺菌作用があることも昔から知られていた。だからおにぎりや弁当に今でもよく用いられている。

このように大変役立つ果実なのだが、不思議なことに栽培は中国と日本などごく限られた地域だけで、ヨーロッパやアメリカ大陸では栽培されていない。


3月25日()相撲の美学

大相撲は今日が千秋楽であるが、鶴竜が昨日4度目の優勝を決めた。右手を痛めながら一人横綱の重責を果たしたのは良しとすべきだろうが、休場している白鵬と稀勢の里の復帰が待たれる。千秋楽で横綱同士が優勝を争う場所が早く来てほしい。

相撲は防具もつけずに肉体がぶつかり合う激しい格闘技だから致し方ない面もあるのだろうが、怪我を抱えながら土俵に上がる力士が余りにも多いように思う。古傷を守るためのサポーターが必要なことは理解できる。しかし手足や膝・腿など至る所サポーターだらけの姿は見苦しい。怪我が寛治してからきれいな体で土俵をつとめてほしい。

相撲協会は公益法人でありながら営利梃な営業活動を行う特殊な存在でもある。収入を上げるために興行回数が増え、力士が怪我を完全に治す余裕がなくなったことも背景にあるのだろう。しかし観客としてはきれいな体でのぶつかり合いを見たいのである。

昔の力士は今ほどサポーターだらけではなかったように思う。場所数が少なかったことなど今とは条件が違うけれども、怪我を外部に晒すのは「恥」であると言う土俵上の美学を重んじていたのではなかろうか。相撲は勝負に勝てばいいと言うものではなかろう。不祥事続きと怪我続きでは「国技」が泣く。


3月26日(月)キクザキイチゲ

白いキクザキイチゲが咲きだした。菊に似た花を咲かせるのでこの名がついた。青紫の花のものもあるが花期が少し遅れる。落葉広葉樹の林床を好む花でわが家でもコナラの落ち葉をかき分けるように咲いている。コナラの葉が茂って日陰になる頃には早々と地上部が消えて、翌春まで長い休眠に入る。キクザキイチゲに交じってニリンソウも咲いている。

両方ともキンポウゲ科の植物で、フクジュソウも仲間である。スプリング・エフェメラルと称されるこれらの植物は、花を咲かせ地上に現れている期間は短いけれども、葉が茂る前の明るい雑木林の林床を彩る春を告げる使者である。

ヒヤシンスの蕾も膨らんできた。もう一週間ほどで咲くだろう。スイセンも勢いよく葉を伸ばし蕾も見えてきた。ショウジョウバカマはまだ休眠から覚めないようである。イカリソウも目覚めはまだである。これらの花は山菜シーズンを知らせる指標になる。仙台駅近くの朝市にシドケやミズ、アイコ、ワラビなどの山菜が並ぶ日が待ち遠しい。


3月27日(火)桧山茶

緑茶が好きで毎日何杯も飲む。お茶は産地ごとに個性があ。知覧茶、八女茶、宇治茶、静岡茶、狭山茶など、その土地の土壌と気候風土が作り出すお茶の味と香りが違う。このうちでもっとも慣れ親しんでいるのが静岡茶である。

お茶の木は暖かい地域でしか育たないものと思っていたが仙台でも育ったらしい。茶畑と言う地名が残っているし、子どものころ広瀬川下流右岸に茶畑があった記憶がある。秋田県能代市の桧山地区に日本北限の茶畑がある。最盛期にはは200戸ほどの農家が栽培していたようだが、今では僅か2軒の農家が細々と生産を続けているに過ぎない。

桧山茶は京都の宇治茶の流れを汲むお茶で、「甘みがあって苦味がそれに続き後味すっきり」が特徴だと言う。是非一度飲んでみたいものだが、生産量が少ないので広く販売されることはなく、現地に行かなければあり付けないのかもしれない。

桧山でお茶栽培が始まったのは江戸時代中期である。秋田藩の所領であるこの地域を治めていた多賀谷峯経が、京都の宇治から持ち帰った種を桧山の山城の一角に植えて自家用の茶園を開いたのが桧山茶の始まりと言う。東北のしかも雪深い北国に、こんな由緒ある茶園があるとは知らなかった。


3月28日(水)レンテンローズ

レンテンローズ(Lenten rose)の花盛りである。クリスマスころに咲くクリスマスローズ(花色は白)と近縁で春咲きの種類である。花の色も白、ピンク、薄紫、黒紫と変化に富んでいる。花弁に見えるのは実は萼片で本当の花は萼片の中心部にある糸状のものである。花が終わっても萼片は萎れずに残るので長い間楽しめる早春の花である。。

キリスト教では「聖灰水曜日」から「復活祭」までの期間をLent(四旬節・40日間)と言い、その期間に花盛りを迎えるのでレンテンローズと呼ばれるようになった。クリスマスローズに比べると草丈が高いのも特徴だ。原産地はギリシャからトルコにかけてである。

日が良く当たる水はけのよい土地を好む植物らしいが、わが家では庭石の傍や日当りがあまりよくない場所でも毎年花を咲かせるので育てやすい。


3月29日(木)五軒茶屋

子どものころ住んでいたところは石垣町と言った。一丁東の道は弓ノ町であった。仙台は伊達家の城下町であったから町割りを決めたときに武家屋敷と町人が住むところを画然と区別し、町人の住むところはその職業によって上記のような町名をつけたのだろう。

小生が生まれたころはその名残をとどめるものは何もなくなっていたが、土地の区画が間口に比べて奥行きが長い長方形で、東隣の弓ノ町の土地と背中合わせに接していた。その一区画に藩政時代は何軒の家があったのか分からないが、小生が住んでいたころは4軒の家が建っていた。屋敷の真ん中ころに井戸があった。

最近は行ったことがないので詳細は分からないが、戸建ての家が減ってアパートやマンションなどの集合住宅が建つ町に変貌したらしい。近年は地下鉄南北線やバスの便が良いので住人が増えているのだろう。参勤交代の行列の通り道であった東西に走る荒町に直角に交わる横丁であった。

少し荒町を東進すると町名が南鍛冶町に変わる。文字通り鍛冶職人が集まっていたところだったのだろう。やがて町は右折して南材木丁を通り広瀬橋で長町へと通じる。参勤交代の行列の中ごろが「永町橋」(現広瀬橋)に差し掛かった辺りで休息したらしい。

そこには赤壁楼、観水楼、対橋楼、香菊楼、お百茶屋の五軒の茶屋があったので通称「五軒茶屋」と呼ばれていた。藩主や重臣たちは赤壁楼で朝食をとったと言う。最後まで残っていた対橋楼も平成元年に廃業し昔の面影を伝えるものは何もなくなってしまった。


3月30日(金)ダチョウの肉

今から9年前「ダチョウの丸焼き」という本を出した。ホームページの「TAKESIの部屋」と言う欄に毎日書いている身辺雑事の中から、食に関するものだけをあつめて一冊の本にしたものである。実をいうと本の表題にしたダチョウは丸焼きはおろか肉片すら食べたことがない。

仙台駅近くの肉屋でダチョウの肉を扱っている。いつか求めてみたいと思っているが肉屋への卸を商売にしているらしいので、少量を売ってくれるかどうか分からない。体重が150キロを超える大型の鳥でしかも飛べないから頑丈な脚をしている。最も速く走るときは時速70q、40qくらいの速度なら2時間ぐらいは継続して走れる健脚の持ち主である。一流のマラソンランナーでも時速20qぐらいだから、ダチョウの走る速さはその約2倍である。

食べるならどの部位が良いだろう。脂肪が少ない発達した腿肉か、あるいは柔らかそうな胸肉が旨そうだと見当をつけている。バターをひいたフライパンでローズマリーなどの香草と一緒にステーキにしたら旨いだろうと想像している。卵焼きも食べてみたいが卵を売っているのを見たことがない。

もう一つ食べてみたい肉がある。それはワニの肉だ。経験者の話によると少し硬めの鶏肉に近いそうだ。でも病みつきになるほどおいしい肉ではないと言う。鶏肉の方がおいしいと言う感想だった。


3月31日(土)カタクリが咲いた

庭に東端にカタクリが咲きだした。例年より少し早いような気がする。俯いて咲くピンクの花は楚々として美しい。毎年花見に訪れる近所の三神峯公園の雑木林の斜面にも群生している。落葉樹の葉が茂る前の日当りが良い時期に急いで咲いて早々に姿を消してしまう。

山菜採りに通った近郊の山は春の訪れが遅い。4月末になっても日陰にはまだ雪が残っていた。カタクリの盛りは5月の連休ごろになる。芽生えたばかりの新緑の中にコブシやヤマザクラが咲いて、ぼーっと霞んだような林床にカタクリがひっそり咲いていた。

カタクリは山菜としては売られていないが、地上部も地下の球根も食べられる。片栗粉は今はジャガイモなどから作られるがカタクリから作るのが本物である。カタクリの球根はかなり深いところにあるので掘り出すのは難儀である。だから山里の人は地上部だけを摘んで、お浸しや和え物にして利用することが多いようである。

わが家のカタクリは摘んで食べられるほどたくさん生えている訳ではない。けれどもだんだん増えているようだ。コナラの日陰になっている傾斜地が気に入っているのだろう。


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